身体を通して学ぶ

努力と成長

私たちの稽古では、始めに体の鍛錬を行います。
これは「重心を支える力」と「手首の返し」を身に付けるためです。
これらの力が不十分なために技が掛かりきれないことがよくあります。

逆に、きちんと力が身についてくれば、壁にぶつかっていた人もいつの間にか問題が解決していた、ということもあります。

続けていれば、その積み重ねが明日の自分自身を創り、できなかったことができるようになったり、わからなかなかったことがわかるようになっていきます。

それは当たり前のことなのですが、いくつになっても成長を実感できるのは幸せなことです。

 

居付かない、ぶつからない

”居付く”というのは、不要な筋肉の緊張で身体がこわばって有効な働きができない状態のことです。
文字通り、その場に居続けたいという執着から来る「力の滞(とどこお)り」と言えます。
”居付く”動きでは、相手のほうが早く察知して先回りされるので、結果として力がぶつかり合ってしまいます。

絶えず自らの居付きを取り除き、相手の動向を察知してぶつからないように捌(さば)くことができれば、相手も自分も無理なく技に入ることができます。

言い換えれば、
「執着せず、いつでも譲ることができればぶつからない。また、ぶつからない方向から主張すれば、無理なく目的を達成できる。」
といったところでしょうか。

 

研究心と自信

こうしたらどうだろう、ああしたらどうだろう、といろいろ試していくと、上手くいくときは良くわからなくても、上手くいかない理由ははっきり見えてきます。

何がダメなのか、なぜダメなのか、そういった謎が解けるたびに、一つづつ上手くいくためのヒントが増えていきます。
そうして研究につぎ込んだ分だけ、自信となって返ってきます。

ちなみに、成功した時の体験を追いかけると、その時の条件とは異なっている事に気付かずに同じことをしようとしてしまい、結局のところそれが居付きになって失敗してしまうようです。

 

その先の可能性として…

空手家の柳川昌弘先生の逸話に、こんなものがありました。

柳川先生が歩道を歩いていると、小さい女の子が目に入った。
女の子が車道の方へ向かっていったところへ、猛スピードの車が走ってきた。
このままではぶつかるという一瞬、柳川先生がクルッと体を回して女の子を抱きかかえて難を逃れた。
車道に出て行きそうで危ないな〜と気にはなっていたが、助けた瞬間は無意識だったとのこと。

護身術は、極めれば自分だけでなく他人も護ることができるという素晴らしいエピソードですね。

また、ある合気道家のエピソードでは、
路上で刃物を振り回す若者を、言葉の説得だけで落ち着かせた場面があったそうです。
その場に居合わせた弟子が「どうして技で押さえつけなかったのですか?」と尋ねたところ、
師は「それでは若者の心は守れないだろう。おのれの身を護るだけでなく、相手の心を護ってこその合気道だ。」
と答えたそうです。

護身術から護心術へ。
その様に在りたいものです。

 

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