皆さまこんにちは。
合気武術 仙心会の平田です。
武道(武術)を稽古する目的について、
前にもやった気もしますが
あらためて考えてみたいと思います。
1.
武道(武術)は稽古を通して多くのことを学びます。
自分が「こう動けば相手はこう出る」
「こう動けばこうなる」と、
自分と相手が一繋ぎ・表裏一体になっていることを技を通して体験します。
また「こう言えば相手はこう思うだろう」
「こういう態度をとれば、相手はこう思うだろう」
と予測することも稽古です。
相手の身になって考え、予想して行動し、その結果起こることを受け入れる、つまり因果応報を身をもって体験することが武道の稽古だということです。
2.
これは見方を変えれば、
相手を殴ってよいと考えるなら自分も殴られて当然ですし、
相手の骨を折るつもりなら自分の骨も折られる覚悟をしなければならないわけです。
人や物を粗雑に扱えば、自分も粗雑に扱われます。
自分の心や体も、無理をすれば壊れます。
それは当然のことです。
それゆえに、そのような世界から抜け出して、
相手に良くして、自分も良くしてもらい、
相手を楽しませて、自分も楽しく過ごし、
相手を尊重して、自分のことも尊重してもらう。
物は丁寧に扱い、自分の体や心も丁寧に扱う。
そういう世界に変えていけたら良いですよね。
そうして、
すべてを丁寧に・優しく・大切に扱って、楽しく・幸せに・充実して過ごして、住まわせてくれる世界へ感謝して生きられたら素晴らしいと思います。
この様に、人生を送る方向性を、自分自身で選択する力が、武道の稽古には内包されていると思っております。
これは合気道開祖・植芝盛平先生のおっしゃっている地上天国の考え方に近いのではないかと思っています。
3.
ですので、武道の稽古は、投げ技や受け身が上達することが目的ではなく、ましてテクニックを磨いたり数稽古をこなすことではありません。
相手の身になって、より自然に、無理なく、心地良い技を感得し、相手を楽しませつつ楽しく稽古することが大切だと思います。
その結果、大会で優勝したり、段位を取得したり、技の効かなかった相手にも掛けられるようになることはとても素晴らしいことだと思います。
4.
日々の生活において、心穏やかに、周りを楽しませ、自らも充実感をもって過ごすこと。
これを実感するために、武道を道場で稽古するのです。
「道場」には「人生の修行の場」という意味があります。
道場で模擬的に難しい状況を作って、それを打開していくことが、日々の生活という「道場」での修行にも活きると思います。
また、もし相手が思うように動かず、技が効かない時こそ、あるいは、世の中が思い通りにいかず悩める時こそ、自分の心の動きを見つめ、執着のない自由な発想と行動力を養うチャンスです。
武道の稽古を通じて人間性を高める。
これが武道の目的に尽きると思います。
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